東は鬼怒川を境として真岡市、西は田川を境として明治地区、南は上三川地区坂上小学区、北は北小学区(明治地区含む)及び本郷地区と接している。
台地部の中央が市街地で、東西両河川に沿って平坦な水田地帯となっている。昭和43年、町北部の平地林に日産自動車工場が誘致され、これに伴って、住宅地、商店街が次々と造成され、人口も急速に増大してきたが、現在は横ばいの状況にある。
旧上三川町の大部分を校区とする本校は、農業や商業に従事する家庭の児童が中心であったが、自動車工場の誘致等に伴って、都市化の現象が進み、他地区から移り住んだ家庭の児童も増えてきた。
これらの現象は、人心にも大きな影響を及ぼし、物の見方や考え方を始め、価値観の多様化を生み、開放的で進取の気風が現れ、活力に満ちた様相が見られるようになった。また、新四号国道、真岡街道バイパス、町道各線の新設や整備により交通量が増加し、児童の交通安全指導が重要となっている。